2010年12月
初トレラン大会だった第1回氷ノ山系トレイル50マイルから3週間後、ようやくトレイルのダメージが抜けてきたタイミングで、これまた第1回開催である2010年奈良マラソンに参加しました。
レース前日からお腹の調子が悪くて、当日の朝に会場についてからもトイレに駆け込んで何とかスッキリした状態でスタートラインにたどり着きました。
申告タイムを何分で記入したのかは忘れてしまいましたが、僕はBブロックからのスタートでした。
Bブロックからのスタートという事で、スタート直後はなかなか動かないのではないかと思ったのですが、思ったよりもスムーズに流れたみたいで、スタートの合図から30秒ほどでスタートゲートを通過することができました。
この日のレースはトレイルのダメージであまり練習を積めていなかった事もあったので、キロ4分半のイーブンペースで走ろうと、スタート前から決めていました。
それでも予定通り走れば3時間9分と当時のベストタイムとなるので、それを弾みとしてさらに練習を積んで、翌年3月の篠山マラソンでサブスリーを狙おうとの目論見でした。
がしかし、走り出してすぐに3時間のペースメーカーと遭遇してしまったのです。
4時間と5時間のペースメーカーはスタート前に存在を知っていたのですが、3時間のペースメーカーがいるとは思わなかったですが、見て知ってしまったらダメでした。
急遽作戦変更し、潰れることを十分覚悟で付いて行くことにしました。
というのも、現時点で3時間のペースメーカーに30kmまで付いて行くことが出来たら、翌年3月の篠山マラソンでサブスリーの可能性がかなり高くなるのではないかと思ったのです。
この年の月間平均走行距離は約150kmで体重も身長マイナス100と、現時点でサブスリーを狙うなんてふざけていると思われても仕方ない状態だったのですが、その状態で30kmまで食らいついて行くことが出来たら、篠山マラソンまでの3か月で何とかなるのではないかと超楽観的な考えでついて行くことにしたのです。
ぺーサーにつき始めて最初のうちは、とても快適に走れたのですが、当たり前のことなんですが15km付近から右脚のハムストリングス辺りに軽い張りが出始めました。
20kmを過ぎた辺りで有料道路を超えるための高架によるアップダウンが出てきたのですが、その辺りで遅れ始めました。
下りで何とか追いついたのですが、折り返し地点となっていた25km付近でアキレス腱まで張りが出始めたので諦めてペースダウン。
そうなると、ペース落として維持するのも難しくなり、30kmを超えた辺りで歩き始めてしまいました。
アップダウンのある区間を終えてから、ぼちぼちと走りだしたのですが、一度歩いてしまうと心が折れてしまったのか40km過ぎまで走ったり歩いたりを繰り返しでした。
ラスト2kmとなった辺りから、ようやく気持ちを入れ替えて走り出して何とかゴール。
タイムは3時間14分05秒(7290人中406位)
歩きながらもベストを約3分更新したのですが、マラソンで潰れてしまうと情けないというか厳しいというか悲しいというか、何とも言えない気持ちになるというのを痛感して、ベスト更新といっても全く嬉しくなかったです。
篠山マラソンに向けて、ちょっと不安が残ってしまう奈良マラソンでした。
5km毎のタイム
5km…21:26
10km…0:42:12(20:40)
15km…1:02:42(20:28)
20km…1:24:02(21:16)
25km…1:45:04(21:00)
30km…2:10:32(25:25)
35km…2:35:34(24:58)
40km…3:03:01(27:24)
ラスト…3:14:05(11:04)